1年フル活用記録

あっという間に30歳になる気がしてきたのでそれまでに記録に値するようなことをもっと色々経験しようという自戒を込めて始めました。居場所は台湾だったり東京だったり大阪だったりします。(最近は国内多め) 大体スマホでポチポチ書いてます。

台湾で料理教室に行ってきた話

年末台湾の続きです。

4年強勤めた仕事を辞めくさり、新しい仕事が年明けから始まるまで時間ができたので、台湾時代にお世話になった方々へのご挨拶も兼ねて一人で台湾に行ってみたのですが、なんせ昼間は皆様普通にお仕事中なので日中が暇なのです。夜は色んな方々とご飯に行ったり、会社の忘年会に紛れ込んだりしたのですがw

で、出発する前に、きっと暇になるだろうなーと見越して、迪化街にある台湾料理教室にあらかじめネットで申し込んでいたのでした。便利な時代ですねー。

もともと台湾にいた頃中国語の老師に紹介してもらったところなのですが、海外からの旅行客向けに開催されているので中国語ができなくても英語や日本語の通訳さんがいるとの由。

 

当日そのクラスにお邪魔すると、私の他にアメリカから来た家族3人(父母娘)も同じクラスでした。

時間帯によっては小籠包を作るクラスとか色々あるのですが、この日時しか私は空いていなかったので、魯肉飯(ルーローハン)蚵仔煎(オアゼン、いわゆる牡蠣オムレツ)タピオカミルクティを作るクラスでした。

前で先生が英語で色々説明しながらお手本を見せてくれて、各々作っていく流れです。

f:id:hannah_n:20200310152430j:image

f:id:hannah_n:20200310152433j:image

↑これが仕上がり。

蚵仔煎が若干崩れましたが笑、なかなか素敵な仕上がりではないでしょうか?!タピオカはてっきり乾燥タピオカを茹でるところからかと思いきや、しっかり粉を練るところからで本格的でした。笑

 

途中、そのアメリカ人家族と話していて、なぜこのクラスに申し込んだの?と聞かれ、仕事を辞めかくかくしかじかで…とか話してたのですが、なるほど!それはクールな時間の使い方ね☆と言われまんざらでもない私でした。笑

彼らはというと、お父さんが台湾系アメリカ人3世で、生まれも育ちもアメリカで台湾に来るのもこれが初めてだけど、小さい頃におばあさまが作ってくれた台湾料理が忘れられず、自分のルーツを探るために来たのだと話していました。

祖母が生前に、アメリカで手に入る食材を工夫して伝統的な台湾料理を作ってくれていたのに、今となっては自分の父母も、自分自身も、家族誰一人として彼女が一体何という名前の料理をどうやって作っていたのか覚えていないんだ、とのこと。

彼が、こんな料理を作っていたはずなんだけど…と話していると、横にいた台湾人のスタッフの方々がすごく驚きながら、それは本当に伝統的な台湾料理で、むしろ今の台湾ですら作り方や存在を知っている台湾人も少なくなってきているのよ、と言っていました。確か、蟹の甲羅から中身を取り出して、それをナッツか何かと和えてまた詰めて、揚げる…?みたいな説明だったような。

日本でも、というかこういう話は日本に限らず誰でも身に覚えがある話です。両親が伝統的な郷土料理や地域の風習を受け継ぎ、自分はそれを横で見ているんだけど、実際にやれと言われるとできなかったり、大人になってから初めて「一体あれは何だったんだろう?」と意識する。気になった頃には両親や祖父母に確かめる術がなく、風習は少しずつ、代を重ねる毎に本来あるべき姿から形を変えたり、あるいは薄れていく、消えていく…。

それでも私が出会ったその男性のように、取り戻そうとする試みはとても素敵だし意味のあることだと思います。彼の歳を鑑み、彼のおばあさまの時代となると、おばあさまが何歳の頃にアメリカに渡ったのかはわかりませんが、おそらく戦後の1950〜1960年代くらいかなあ、なんて想像して、料理よりも思いがけなく興味深い話を聞けたことに満足しながら、ぷらぷら迪化街を散策しつつホテルへ戻ったのでした。

 

f:id:hannah_n:20200310152437j:image

孤独のグルメ台湾編にも出ていたお店です。1回だけ行ったことがあります、おいしいですよ。


f:id:hannah_n:20200310152441j:image

その向かいあたりにあった、ジューススタンド。若い母親が小さい娘とジュースを飲みながら座っている姿が、自分の母親と自分の小さい頃に重なりました。

料理教室の予約はKKdayというアプリを使って申し込みました。Taiwan Cooking 101で検索すると見つかると思います(^^)

公式HP: cooking101 - 大稻埕台灣料理研習所